蜷川幸雄さんへの藤原竜也さん弔辞で感じたこと

from 野村尚義

有名人がなくなったニュースでは、その弔辞が話題にあがることが多くあります。

多くの人の記憶に残っているであろうところでは、赤塚不二夫さんの弔辞を読んだタモリさん。実は白紙を手にしていたと噂になりました。この件については私もAll Aboutで記事を書いたのですが、心に染み入るものがあります。

プレゼンテーションの専門家という仕事をしているからでしょうか。こうした弔辞は深く聞き入ってしまいます。故人に対して近い距離で届けられる最後のプレゼンテーション、そんな大切なワンシーンに感じられます。

蜷川幸雄さんの告別式で藤原竜也さんが読んだ弔辞

先日12日に演出家の蜷川幸雄さんが亡くなられたというニュースが流れました。業界に多方面に影響を与えられていた方ですから、色々な有名人がお悔やみの言葉を述べておられました。

ただそのなかに、愛弟子である藤原竜也さんのメッセージはありませんでした。テレビでキャスターが言っていたのは「ショックのあまりコメントが出せる状態ではないとのこと」だそうです。

本当に衝撃を受けると、そうなってしまうのだろうな…。テレビを見ながらそんな風に感じました。

それから4日経った告別式の日、藤原竜也さんは弔辞を読まれました。テレビではその音声を流していたのですが、もう本当にクシャクシャに泣き崩れながら読む声が心に突き刺さりました。

以下は弔辞の言葉の全文です。

「その涙は嘘っぱちだろ?」と怒られそうですけど、短く言ったら長く言え。長くしゃべろうとすれば、つまらないから短くしろと怒られそうですけど。

まさか僕がきょうここに立つことになろうとは、自分は想像すらしてませんでしたよ。最期のけいこというか、言葉で弔辞。5月11日、病室でお会いした時間が最期になってしまうとは…。

先日、公園で一人『ハムレット』のけいこの録音テープを聞き返していましたよ。恐ろしいほどのダメ出しの数でした。瞬間にして心が折れました。

「俺のダメ出しでお前に伝えたことは全て言った。今は全て分かろうとしなくていもいい。いずれ理解できる時がくるから、そうしたら少しは楽になるから。アジアの小さな島国の小さい俳優になるなと。もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから」と蜷川さんそう言ってましたよ。

蜷川さん、悔しいでしょう、悔しくて泣けてくるでしょう。僕らも同じですよ。もっと一緒に居たかったし、仕事もしたかった。たくさんの先輩方、同志の方々がたくさんきてますね。蜷川さんの直接の声は、もう心の中でしか聞けませんけれども、蜷川さんの思いをここにいる皆でしっかりと受け継いで頑張っていきたいと思います。

気を抜いたら、バカな仕事をしてたら、怒ってください。1997年、蜷川さん、あなたが僕を産みました。奇しくもきのうは僕の誕生日でした。19年間、苦しくも…、まぁほぼ憎しみしかないですけど、最高の演劇人生をありがとうございました。蜷川さん、それじゃあまた。

蜷川幸雄さんが藤原竜也さんの心に残したメッセージ

たむけられた花の写真

弔辞で述べたことに対して分析フィードバックするような不粋なことはしません。

ただただ「心からの言葉は、ストレートに心に響くものだな」と。弔辞の言葉から、お二人の関係性がうかがい知ることができ、悲しくもなぜか心温まる気持ちになりました(「ほぼ憎しみしかないですけど」なんて特に!)。

一方で蜷川幸雄さんが藤原竜也さんに伝えた言葉が同じくらい耳に残ります。

もっと苦しめ、泥水に顔をツッコんで、もがいて、苦しんで、本当にどうしようもなくなったときに手を挙げろ。その手を俺が必ず引っ張ってやるから

藤原さんがこの弔辞の席で振り返りたくなるほど、彼の心を貫いたのがこの言葉だったはずです。

正直反省してしまいました。
自分はうちの社員に対して、これだけの言葉を相当の覚悟とともに述べられているかと。

厳しくも、愛がある。
想っていても、甘やかさない。

そんなことが伝わる言葉。
そして、この言葉を受け手が信じられるのが、これまで築き上げた関係性じゃないですか。

想いとか、築き上げた関係性とか、言葉以外のものの大切さを、言葉を通じて感じさせられる弔辞でした。

one more thing.そして思ったこと

そして思ったのが「自分が死んだときには誰がどんな弔辞を読んでくれるんだろう?」と。

職業がら、私の周りにはプレゼンにアンテナ立ててる人が自ずと多いから、ひとりからだけじゃなくみんなから順々に最後のメッセージをプレゼンしてほしいな。

そしてもらった弔辞に天国から私がフィードバックするという笑
こんな風にwww

そんな場面が実現したとき、多くの仲間にむせび泣きながらメッセージがもらえるような生き方がしたいと思う。蜷川幸雄さんがそうであったように。